Chapter 1 Khanjarモデルとは

当店でも何度かご紹介させていただいてきた、オマーン国のシンボルがロレックスの文字盤や裏蓋に刻印されたKhanjarモデルというのが存在するのご存知ですか?

Khanjarとはオマーン国の伝統的な剣という意味があり、国旗にも使用される2本の短剣が交差する絵はオマーン国のシンボルとされています。

Khanjarモデルのロレックスは数多くのオークションにも取り上げられその希少性から高額で取引されています。
なぜオマーン国の刻印が入るだけで価値があり希少なのか。なぜオマーン国の国章がロレックスとコラボレーションできたのか。
今回は3つの記事に渡りオマーン国とロレックスの関係をご紹介したいと思います。

ロレックスKhanjarモデルを説明する前に重要な存在となる「オマーン国王カブース・ビン・サイード」について説明させていただきます。

カブース・ビン・サイードは代々のスルタンを出してきた南部のサラーラという港町の出身。幼少期を同地で過ごし、インド・プネーで16歳まで過ごした後にイギリスに留学する。
※(スルタンは、イスラム世界における君主号のひとつ。アラビア語で「力、権力、権威」「権力者、権威者」「王、絶対的君主」などを意味する。)
20歳の時にサンドハースト王立陸軍士官学校に入学し、1962年9月に卒業。卒業後はイギリス軍・キャメロニアン連隊に配属され、1年間西ドイツに赴任する。多くの場所で様々な勉学に励んでいた青年期を送っていた。

退役後は地方行政学を学び学問に精を出した。しかし、1996年に帰国するが、父王サイード・ビン・タイムールによって宮殿に監禁に近い状態に置かれ、サイード・ビン・タイムールの顧問から説明を受ける時を除き、政治に関与することを認められなかった。
監禁中はイスラム教とオマーンの歴史について学び、イギリス軍時代の友人ティモシー・ランドンやサイードの顧問の息子、宮殿の警備関係者以外との交流は認められなかった。カブースはサイード・ビン・タイムールの過度な政策に対し反対し、国外に駐在する協力者と連携してクーデターを計画。

1970年7月23日、宮廷クーデターを起こして父王サイードを追放し、カブースが国王に即位した。
即位後、カブースは国名を「マスカット・オマーン土侯国」から「オマーン国」と改名し新たな国を誕生させます。
また自身の誕生日である11月18日を国民の祝日に制定し、即位した7月23日も「ルネサンスの日」として祝日に制定しました。
カブースは自らが行う政治体制はサイードの絶対君主を維持したまま、全ての権限を掌握しました。行政官や裁判官の任免権もカブースが掌握し、カブースの権威は不可侵のものとされ、カブースは国の現代化に尽力し一連の改革を行い始めました。

今回はKhanjarの歴史において重要な存在となった「オマーン国王カブース・ビン・サイード」の歴史を深掘りし、ご紹介させていただきました。
次回は「Khanjarモデルの誕生、カブースの狙いに」ついて深掘りした記事をご紹介いたします。
是非、ご一読いただけますと幸いです。

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